〜光田昌平のドン底からの復活ストーリー〜
今から16年前の話です。
施術家を志す一人の青年が、念願の柔整師免許を取得しました。子供の頃から柔道をしていた私は格闘技が好きで、病院のリハビリ施設で働きながら総合格闘技も始めました。
しかし数年後、あることをキッカケに彼は、プロにまで登り詰めた総合格闘技を辞めることになります。理由は、24歳のときに発症したヘルニアでした。
「将来の人生を取るか、格闘技を取るか選びなさい」
医者から、このような厳しい選択を迫られました。悩んだ末に彼は、将来の人生を取る選択をします。そして総合格闘技を引退し、施術家一本で生きていく決意をしたのです。
生活は安定したけれど…
当時の私は、大手グループの整骨院で働いていました。
まじめで向上心の高い彼は、働きながらどんどん新しい技術を学んでいきました。施術の評判も良く、患者さんからも社内からも高く評価され、数年で店長を任されるまで出世しました。
努力の結果、月の手取りは50万円。年収700万円という、まわりの施術家がうらやむような安定したサラリーマン生活を送っていたのです。
しかしキャリアを重ねる中で、彼の中には「雇われの仕事は面白くない」「いつかは自分の城を持ちたい」という思いが膨らんできます。
そして施術家になって10年が経ったころ。家族の反対を押し切って年収700万円の安定した生活を捨て、独立開業の道を選んだのですが…
夢だった自分の城を持ったはずが…
ずっと夢だった自分のお店を開業したのは、私が33歳のときでした。
約10年の下積み時代にひたすら手技を磨き続けてきた私は、施術の腕は誰にも負けない自信がありました。
そのため、開業当初から保険を使わず、大胆にも完全自費で施術をおこなうことにしたのです。
「よっしゃ! 患者さんのためにどんどん施術するぞ!」
「腕の良さでたくさん患者さんを集めてやる!」
と意気込んだのですが、オープン直後の状況はどうだったでしょうか?
来る日も来る日もお店はガラガラ…。待てど暮せど患者さんが来る気配はありません。1日ひとり来院するかどうかという、まさに閑古鳥が鳴く状態が続いたのです。
初月の売上は、たったの10万円。奥さんと子供2人の家族4人を食べさせるには、到底お金が足りません。
貯金もなく、お金のやりくりに困った私は、運転資金で国金に借りた300万円を崩して生活費にあてることにしたのです。
借金を借金で返す最悪の状況に…
運転資金の300万円は、ほんの数ヵ月で底をつきました。
たいした売上もないのですから当然です。しかし、オープンから数ヵ月が経っても患者さんが増える気配はありません。
資金繰りに困った私が次に取った手は、カードローンでした。幸いにも10年近く続けたサラリーマン時代の信用があったため、簡単にカードローンの審査が通ったのです。
「明日は患者さんが来てくれるはず」
「来月…いや半年後にはお店は軌道に乗っているに違いない」
借金生活に陥った彼は現実から目を背け、無理やりポジティブに考えることで平静を保っていました。
そして、お店を潰したくない一心で、とにかくカード会社から借りられるだけお金を借りまくったのです。
しかし、借金を借金で返すような生活が長く続くはずはありません。カードローンに手をだして2年が経ったころには、とうとうどこのカード会社もお金を貸してくれなくなったのです。
その結果、借りに借りたカードローンが約1500万円。さらに、家のローンが3500万円、車のローンが500万円、その他もろもろを含めた借金総額は6000万円にまで膨れ上がりました。
毎月の返済額は50万円を超えました。家賃や光熱費を滞納して3ヵ月、4ヵ月遅れで何とか返済していましたが、もう限界です。
子どもの積立貯金も崩しましたが、どうやってもこれ以上借金を返済することができません。
家のポストにはローン会社からの督促状が何通も届いていました。彼は、自分の不甲斐なさに涙を浮かべながら、弁護士と相談する日々を過ごすことになります。
「あんた、どうする気なん!?」
「だから雇われ辞めるときにいけるん? って聞いたやんか!」
「家賃と光熱費、子供の学費払いたいから早くお金ちょうだいや!」
奥さんと顔を合わせるたびに、胸に突き刺さる言葉が飛んできます。
そして、これ以上家族に迷惑をかけるわけにはいかないと覚悟を決めた彼は、「もう少しだけ待ってくれ」「あと1年でダメなら、自己破産して離婚するから」と宣言したのです。
その後、弁護士のアドバイスに従って債務整理をおこない、月々の返済額を下げることができたのですが…
なぜ、患者さんが来ないのか…?
毎月の返済額が減ったことで、少しだけ気持ちに余裕ができました。そこで彼は、「なぜ、患者さんが来ないのか?」その理由を真剣に考えることにしました。
「もしかすると、自分のことばかり考えてるからうまくいかないんじゃ?」
「もっと、患者さんのためになることを考えた方が良いのかも…」
いろいろなことを考えるうちに、私の心は「お金第一」から「患者さん第一」に変わりはじめていました。
その変化は行動にもあらわれました。
患者さんの心を知るために、地域活動のボランティアやイベントに積極的に参加するようになったのです。
その中で手渡しでチラシを渡すなど、患者さんに来てもらうため、恥も外聞もかなぐり捨ててお店を知ってもらうことに注力しました。
さらに、寝る時間を惜しんで手技の勉強をするだけでなく、チラシやホームページの作り方も学び、イチから自分で作れるスキルも身につけました。
そんな努力の甲斐もあり、20万円だった月収は50万円に増えました。
しかし、そのほとんどは借金の返済に消えるため、手元に残るお金は多くありません。
それでも、わずかに残ったお金を広告費にまわすことで、少しずつ患者さんが増えるという良いサイクルを作りだせるようになってきたのです。
患者さんのことを第一に考えれば、患者さんは認めてくれる。
手応えを感じた彼は、患者さんの理想を実現できるよう、一人ひとりの患者さんにカスタマイズした施術方針を打ち立て施術するようになっていきました。
そこから、状況は大きく変わり始めます。
閑古鳥だった院は、いつの間にか患者さんの笑顔であふれていました。
そして、患者さんの笑顔が増えるにつれ、院の売上も右肩上がりで伸びました。
開業時は20万円ほどだった月商は、30→50→90→130→150→170→ 180→230→250万円と増え、2019年2月には321万円を叩きだし、ついに月商300万円を突破したのです。
快進撃は今もなお続いています。現在では、
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などの圧倒的な結果をだし続けているのです。
私が特別な人間だったのか…?
もしかすると、私が特別だったからドン底の借金地獄から這い上がり、月商300万円を達成できたと思うかもしれません。
たしかに借金地獄から這い上がる根性とメンタルは、学生時代からやっていた格闘技を通じて培われたところもあるでしょう。
しかし売上を伸ばすことについては、私だからできたことはまったくないと断言できます。
なぜなら、私が定期的に開催しているセミナーに参加した施術家たちは、彼のノウハウをそのままマネをしてどんどん売上を伸ばしているから。
つまり、とても再現性が高く、誰がやっても同じような結果がだせる方法と言えるのです。
そして今回、借金地獄から這い上がり、月商300万円を売上げた方法を公開させていただきます。
なぜ、私は月商20万円から300万円まで伸ばすことができたのか?
その理由は、高額なセミナーで学んだマーケティングや心理テクニックを使ったからではありません。また、広告に多額のお金を使ったからでもありません。
トントン拍子で売上を伸ばした秘密は、医者にも見放された「重症患者を根こそぎ改善する施術技術」を習得したこと。
つまり、施術家の最大の武器である「施術技術」を徹底的に磨き上げることで、20万円だった月商が300万円を超えるまでに伸ばしたのです。
具体的にどんな問題を改善できるのか?
少しだけご紹介すると…
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など、これらはほんの一部に過ぎません。
私は大阪で激戦中の激戦区域の阿倍野エリアで1人治療院を経営してて今では月商300万前後を維持し続けています。
今も現役で走り続け、これからもまだまだブッチぎって走り続け、この時代に大阪で勝ち抜く事がどれだけ大変な事かを実績で証明し続けようと思っています。
それは何故か?
現役で結果出しながらコンサルやってる方は他にいるでしょうか?
今は3年前や5年前に勝ち抜けた時代より結果を出すのは厳しいです。
5年前の情報をいつまでも出されて結果が出るとは思えません。
だからこそ私は現役で400万売り上げる情報を出し続けることに価値があると思っています。
私は『全国の悩んでる重症患者を笑顔にする事と、売上に悩んでる治療家にちゃんと売上の上がる方法をレクチャーして人生を激変してて欲しい事』をコンセプトに掲げています。
こちらでは、どん底から這い上がれた治療院経営術の情報をどんどん送っていきます。
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